2009年8月20日 星期四

法隆寺

For the purpose of learning Japanese, in the next four months, I shall do some close reading on about eleven articles. One of them is about a temple in Japan. Details of this article are as follows:

法隆寺 (607) は 聖德太子(574-622)の鎮魂の寺である。奈良時代(710-794)の政権者は、度重なる火災疫病は太子の怒りであると考えていた。何故そう考えたかというと、太子一族から政権を奪い取った穌我氏は陰謀策略を重ねて、太子の血縁者をことごとく抹殺していったからだ。そのためになくなった聖德太子の怒りがさまざまな災い起こしていると考え、それ以上太子の怒りを招かないよう、この寺であらゆる手をつくして、彼の鎮魂に努めたのである。救世観音像は法隆寺が再建されたその100年後(739年)に藤原氏によって建てられた。通称「夢殿」と呼ばれる東院に安置されている。以後1000年白い布にかぶさりたこの像は秘仏としての目触れることはなかった。1884年、岡倉天心とフェノロサ(Ernest Fenollosa)は法隆寺夢殿を調査した。彼らは。古都の文化財を調査、保護するための政府のエージェントだった らしい。夢殿の救世観音像は数世紀もの間秘められており、だれもみたことがなかった。鎌倉初期の法隆寺の学僧でさえ、「だれもみたことがない。仏像のかたちはわからない。」と記錄している。実際、天心とフェノロサは500mもの白い布をほどいてようやく8世紀以前では最良のコンデションにある木彫佛をみいだした。そのとき、法隆寺の僧侶たち逃げたしたという。1

Note:
1. Copied from Reading Selection. Japanese Language Program: Department of Asian Studies, UBC, 2009.

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